立春を過ぎ、少しずつ寒さも緩む蝦夷。
もうすぐ冬で一番熱い日が訪れる。
『如月の廿四日、倶楽部五稜郭にて貴女をお待ちしております。』
そんな手書きのメッセージカードと、一輪の赤いバラが、、、、の自宅のポストに入っていた。
五稜郭のメンバーが2月14日の事を知っている事も驚きだが、
もっと驚くべきは、何時の間に自宅の場所を調べたのかということだった。
自分達の頭上を飛び交う烏を見つめながら、まさか……と、
カウンターで酒を作る某バーテンダーの姿を思い出す。
それとも、会津藩の情報網なのか、徳川軍の情報網なのか。
いずれにせよ、恐ろしいには違いないが…
四人は、各々相手に渡すバレンタインのプレゼントの事で頭を悩ませていた。
そして、当日。
日が暮れる頃、仕事や授業を終えた四人は、プレゼントを手に店に向かった。
店内は既に、チョコレートを手にした客が詰め掛け、犇き合っている。
その様子はバーゲン会場か、はたまたラッシュ時の電車を思わせる。
入り口で、中に進めず立ち止まっていた四人だったが、客の合間を縫って現れた山崎に声をかけられた。
「いらっしゃい♪待ってたわよ。ささ、アンタ達はこっちね。」
そういってフロアではなく、カウンターの方へと案内された。
「……?」
何故ここに案内されたのか不思議で、顔を見合わせる四人。
気持ちを察した山崎はウィンクをして答える。
「武ちゃん、容ちゃん、敬ちゃん、トシちゃんに頼まれたのよ。」
「四人に?」
「あっちじゃあ、沢山のお客に囲まれて、ゆっくり話も出来ないからって。」
「私達だけ…ですか?」
「ええ、そうよ。アンタ達、手書きの案内状貰ったでしょ?」
「はい。」
「あれは、たった一人の相手にだけ出す案内状なのよ。つまりはト・ク・ベ・ツってことね。」
「特…………えぇ〜っ!?」
「あら、予想通りの反応アリガト♪」
どうやら、他の客への案内状は、カラクリで打った文字で、花は添えられていないらしい。
真っ先にカウンターに現れたのは容保だった。
「待たせたな。退屈であっただろう。」
「いえ、まだ来たばかりですから。容保さん…これ…」
そう言ってはプレゼントの包みを容保へと差し出す。
「余にくれると申すのか?」
「買った物で申し訳ないんですけど…。本当は作ろうと思っていたんですけど、試験があって時間が…」
しかし容保はが話していることは殆ど聞いていない様子で、目を輝かせ包みを見つめている。
「開けても良いか?」
「勿論です。」
ラッピングを解く時の容保は、まるで初めて玩具を与えられた子供の様で、
包みを破ってしまうほどの慌て振りに、周りの三人は苦笑する。
現れたのはゴディバのチョコレートだった。
容保が高級嗜好なのではないかと考えたは、思い切って奮発したのだ。
開けるなり、早々にチョコレートを1つ口に運ぶ。
「旨い!!こんな旨い物は初めて口にした。」
「そんな大袈裟な…」
「大袈裟などではない!」
「買った物ですし……」
「だが、そなたが選んだのであろう?」
「はい。」
そのまま容保は、の手を取ってじっと目を見つめる。
「そなたから、このような日にちょくらあとを貰えたという事が、何よりも嬉しいのだ。」
「容保さん……」
同じカウンターに居辛い…
そんな雰囲気が流れ始めた頃、山南が現れた。
「待たせてすまなかったね。」
「いえ、お疲れ様です。」
「今日は来てくれて有難う。もし来てくれなかったらどうしようかと、ちょっと不安だったんだ。」
そう言いながら苦笑する山南。
「これ、山南さんに。」
そう言ってはバッグから箱を取り出した。
「私に?受け取ってもいいのかい?」
「はい。チョコレートではないんですけど…。」
「有難う、嬉しいよ。」
山南は微笑むと、箱を受け取り包みを開ける。
中から表れたのは、抹茶ロールケーキだった。
「これは美味しそうな洋菓子だね。本当に貰ってしまってもいいのかい?」
「勿論です!」
「君の手作りかい?」
「はい。お口に合えばいいんですけど…。」
「私は茶が好きなんだ。こういう心遣いは嬉しいなぁ。」
その場で山南は山崎にフォークを用意するよう促した。
「君、これを私に食べさせてくれないかな?」
「………え!?」
の返事を待たず、山南はの手にフォークを渡す。
「嫌なら口移しでも私は構わないけど。」
「ふぉっ…フォークでお願いします!」
恥かしくて目を合わせられないは、顔を背けたままケーキを取って山南の前に差し出す。
山南は緊張で震えるの手を掴むと、そのままケーキを口へ運んだ。
「うん、丁度いい甘さで美味しいよ。」
「よかった………」
は耳まで赤く染め、俯いてしまった。
相変らず抜かりないなぁ〜などと、傍らから見守ると。
「やぁお嬢さん方、ごきげんよう。」
そう言ってカウンターに近づいてきた人物は榎本だ。
「君、待たせてしまって申し訳ない。」
「いいえ、お気になさらずに。」
は抱えていた包みを、榎本に手渡した。
「有難う君。私は君のチョコさえあれば、他の物はいらないよ。」
そう言って榎本は、優しい眼差しで包みをじっと見つめていた。
「榎本さん?開けないんですか?」
その声に我に返った榎本は、頬を掻きながら苦笑した。
「余りの嬉しさにちょっと浸ってしまったよ。では、開けさせてもらうよ。」
が榎本に選んだのは、ウィスキーボンボン。
そしてチョコの中に入っているのは、ロマネコンティであった。
それを見た榎本の顔がますます緩む。
「有難う。私はワインを飲むのが大好きでね。」
「喜んで貰えて何よりです。」
喜びを隠そうとしない榎本を見て、これを選んでよかった…とは思った。
「君、私からも贈りたい物があるのだが…。」
「え、私にですか?」
榎本がカウンターに目配せすると、山崎がカップをの前に差し出した。
チョコの甘い匂いと、果物のような酸味が漂ってくる。
「これは?」
「カオバと木苺をブレンドしたホットチョコレートだよ。アルコールは入ってないから大丈夫。」
「そうじゃなくて!何故私がチョコを頂けるんですか?今日はバレンタインなのに…」
それを聞いて、榎本は目を細め微笑む。
「外国では、バレンタインというのは男性が愛を告白する日なのだよ。
どういう訳か、日本では反対になってしまっているようだけどね。」
気を利かせた山崎が、榎本にもカオバの入ったカップを差し出した。
「女性に求めてばかりでは、フェアじゃないだろう?」
そう語る榎本が、とても紳士に見える。
「さあ、温かいうちに飲みたまえ。体も温まるよ。」
「はい、頂きます。」
口に広がるカカオの香りと、木苺の甘酸っぱさが、の疲れを癒し、心も温めていく。
カウンターでそのようなやり取りが繰り広げられていた頃。
フロアより廊下を進んだ一角では、沖田と土方が押し問答をしていた。
「何故俺が店に出なければならないんだ。お前らだけで対応できるだろう!」
「何言ってるんですか。今日は、ばれんたいんなんですよ。」
「俺はそういう西洋かぶれな催しは好きじゃねぇ!」
「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃないんです。」
沖田は懸命に土方の背中を押すのだが、土方は頑として動かず、
その場で20分以上も同じ事を繰り返していたのである。
「今日はさんが来るんでしょう?折角男性が愛を伝えられる日に、会わなくてどうするんですか!」
「ちょっと待て、どういうことだ?」
それまで沖田に背を押されていた土方が、向きを変え沖田と向かい合う。
「どうって、自分で呼んだんでしょう。」
「俺が聞いているのはそこじゃない。」
土方の眉間には、みるみる皺が寄っていく。
「ばれんたいんの内容だ。俺は女が男にちょくらあとを贈る日だと聞いたぞ。」
「誰からの情報ですか?」
「近藤さんだ。」
それを聞いて、沖田は肩を竦めた。
「詰めが甘いから、島原では永倉さんの方が人気があるんですよねぇ。」
「……詰めが甘い?」
「近藤さんが言っているのは誤って普及してしまった風習で、
本来は僕が言った意味が正しいらしいですよ。」
疑いの目を向ける土方に、沖田は更に言葉を続ける。
「榎本さんからの情報ですから、確かだと思いますよ。
それとも僕達より、近藤さんを信じるんですか?」
「…………それは…」
土方が言葉に詰まった所に、永倉が通りかかった。
「おいおい!さっきからずっと、こんなトコで何してんだ?」
「あ、永倉さん!!いい所に来てくれました。」
「………………は?」
「いくら僕がばれんたいんの話をしても、土方さんってば信じてくれないんですよ。」
そう言って、先ほどまでの押し問答の一部始終を永倉に話した。
「そりゃあ土方さん、近藤さんを信じるのが間違ってんな。」
「そうなのか?」
「大体、女から告白されるなんざぁ、男が廃るじゃねぇかよ。」
「確かに………」
「あ、それから!総司や榎本さんでも知らない、粋な男のばれんたいんの技ってのがあんだけどな。」
そう言って、永倉は土方に何かを耳打ちした。
「本当なのか!?」
「少なくとも島原じゃあ常識だな。近藤さんは知らねぇみてーだけど。」
土方は真剣に考え込んでいる様だ。
「あ、そうそう土方さん。もう随分前からがカウンターで待ってたぜ。」
それを聞いて土方が顔を上げる。
「それを先に言え!」
土方は足早にフロアへと向かった。
「永倉さん…粋な男の技って、一体土方さんに何言ったんですか?」
「そりゃあ、これから土方さんを見てりゃあ分かる事だ。」
そのまま二人も土方の後を追うのだった。
「待たせて悪かった!」
そう言って現れた土方は、息を切らしている。
「そんなに慌てなくても、たいした時間じゃないので大丈夫ですよ。」
早速は、ラッピングした箱を土方に差し出した。
「いいのか?」
「はい、休憩中にでも食べて下さい。」
土方は箱を受け取ると、ラッピングを解き、箱を覗いた。
「、お前が作ったのか?」
「はい。」
中に入っていたのはティラミスだ。
「器用だな。美味そうだ、貰おう。」
そう言うと、山崎に指示を出し、ケーキを皿に盛りつけさせた。
「折角だから一緒に食わないか?」
既にケーキは目の前に2つに分けて並べられていて、断れるような状況ではない。
「じゃあ折角なので頂きます。」
ゆっくりとケーキを頬張る土方。
「美味いな、俺好みの甘さだ。」
も後に続き、ケーキを口に運ぶ。
ふとを見つめた土方の目が、そのまま止まる。
「どうかしました?」
「口元に菓子が付いてるぞ。」
そう言って土方の顔が近づいて来たかと思うと、暖かいものがの口元をなぞった。
「…………!!」
その瞬間、は脚の先から詰めの先まで赤く染まり硬直。
同じカウンターに居た他の七人と山崎も、驚きで開いた口が塞がらない。
「こちらの菓子は甘いな。」
そう言ってニヤッと微笑む土方に、は言葉が返せなかった。
「永倉さん…何て言ったんですか?」
「俺ぁ、貰ったちょくらあとを一緒に食べて、相手の口についたちょくらあとを拭って
甘い言葉を囁くのが、粋な男だって伝えたんだけどなぁ〜。
まさか舌で拭うとは、予想外だったぜ。」
土方が京の女子に人気だった理由をなんとなく理解した二人だった。